礎の定まる方向へ29
生きていると様々なことで悩みます。悩みを少しでも軽減できればと願いながら書いていきます。
人間関係は悩みの種なのですが、その中でも多くの悩みやドラマを生み出す恋愛を取り上げます。
人を好きになるのは、自然なことだし素晴らしいことです。
想いがつのれば、恋愛感情になります。
恋とは相手を欲する想い、愛とは相手に自分を捧げる想いというようにも言われますが、いずれにしても相手と一つになりたいという志向だと言えるでしょう。
ギリシア哲学では「愛」を三つに分けています。
エロス(相手と一つになり、生を充実させ、生きることを志向するもの)
フィロス(性欲より生じるもの、物質愛・フェティシズムにもつながる)
アガペー(神の愛、絶対無条件の与える愛)
アガペーは人間のレベルではありません。人間には行いがたいものです。
すべての無常を悟りつつ行うならばそれは慈悲となるでしょう。
実際、仏教においては「愛」は愛欲・愛執の意味になりよい意味では使われません。
愛したい・愛されたいというのは人間にとって極めて自然な感情ですが、それが強くなりすぎると、他の欲望と同じように自分を縛るものとなります。
愛欲が強くなりすぎると、自分と相手しか見えなくなってしまうのです。
そして相手を苦しませ自分も苦しむことになります。
自然な状態を取り戻すにはどうしたらよいのでしょうか。
当たり前のことですが、相手と自分だけの関係だけで生きていくことはできません。
多くの関係の中で生かされていることを実感できれば、少しはましになります。
自分の世界を閉ざさないことです。
慈悲の心は、愛欲を越えたところにあります。
慈悲を目指してはどうでしょうか。
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