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2008年1月30日 (水)

縄文の精神を復活させよう2

縄文の精神とは、共生と循環の精神です。

協力して狩や採集をして、分け前は平等にする、人と人とが共生していける精神です。

すべてを取り尽くしたり、食べ尽くしたりしない、人と動植物・自然が共生する精神です。

人間中心に考えたり行動することではありません。

人間は一人ではうまく生きていくことができないので、根底において協力し合う必要があります。そういう根源的な相互扶助のできる精神です。

「嘘をつかない」ということもあります。梅原氏によれば、全ての人には憑き神がいて言動を見ている、だから嘘をつくことができないことになっています。

これは、「お天道さまが見ている」という感覚に通じるものですが、大切にしたいものです。

この感覚がもう少し生きていれば、多くの社会的問題が防げることでしょう。

「性の重視」もあります。

性交は全てのものを生み出す行為であり、(古事記でもそうなっています)、大切なもの、ある意味神聖なものです。

よりよい性交が、木々の実りや十分な獲物の獲得と関係づけられていました。

性交を楽しむのは自然なことですが、いい加減・勝手に扱ってはなりません。

現在のように、売買の対象にするなどとんでもないことです。

素朴で自然な性の復権が求められます。

欲望は自然なことですが、かきたてられたものではなく、自然に湧き上がってくるものであるべきです。

縄文の生活は、素朴でシンプルに自然に寄り添いながら生きることでした。

弥生時代以降は階層化が進み、複雑になりすぎ、面倒くさいことも増えました。

縄文の精神を復活させることが、今の閉塞状況を打破することにつながるかもしれません。

稲作民の渡来によって縄文文化は一気に終わったわけではありません。

地域によって縄文の精神の色濃く残ったところがあります。

アイヌは縄文遺民だと言われています。

他、東北、熊野(紀伊半島南部)、南四国、九州の一部、琉球(沖縄)など地域が縄文の精神を色濃く残しているそうです。

次回はその辺のところを考えていきたいと思います。

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