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2008年3月 5日 (水)

縄文の精神を復活させよう7

今回は、肥後・薩摩を中心に縄文の精神を考えます。

西日本には縄文遺跡は少ないが、肥後には多いということです。

肥後には古代、熊襲という部族がいました。

熊襲は、ほの暗い森林の茂みにひそみ、突如として襲いかかるゲリラ戦法をよくしたということで、名前にもそれが表されています。

一方で客を歓迎し、敵に対しても優しい面を持っていたということです。

熊襲の族長クマソタケルに計略をもって近づき、だましてこれを殺した大和朝廷の王子に対して、その勇気を誉め、自分の名に因んでヤマトタケルと名のるように言いました。

基本的に優しく他者を歓迎するのは縄文の精神と言えるでしょう。

熊襲は、後に薩摩隼人に編入されました。

熊襲の末裔である肥後熊本県民の県民性は、懇篤にして人情濃やかな面もありますが、堅苦しい・律儀・反骨・荘重・謹厳・方正などというものもあります。

律令制や法治主義を素直に受け入れる過程で醸造されたのではないかと思われます。

よく言われる「肥後もっこす」とは、裏づけのある自信からくる頑固さで、中央への反骨を背景にしています。

薩摩隼人は、狩猟・漁労の民であり、剣による邪霊鎮魂をよくする呪力を持つ民でした。

大和朝廷は征服の過程で、隼人の一部を取り込み、宮廷警護に当たらせました。

以後代々天皇の即位には、隼人族も参列することになっています。

朝廷と隼人族の緊張関係が象徴されているようです。

現在も隼人役の人がいるとのことです。

その隼人の末裔である薩摩鹿児島県民の県民性としては、肥後と似て土着性・強い保守性があります。

また、創造と自己破壊の二つの強いエネルギーの相互作用として読み解くことができるそうです。

西郷隆盛の生き様をおもうと納得できるところです。

縄文の濃度の強い所はどこも情感豊かな(激情というべきか)土地です。

縄文人は、豊かな感情の迸りの中に生きていたのでしょう。

次回は熊野を取り上げます。

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