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2008年7月22日 (火)

土佐人の物語10

邪馬台国は高知県本山町を(宗教的)都として、四国山上にあった。

それは大和朝廷により奪われた。

こう考えてみると色々な事が類推されます。

聖徳太子が道後に来たことを、青春の流浪のように言う説もありますが、本当は慰霊のためではなかったのか。

紀貫之が土佐に派遣されたのは、文化的に高いものを見せて天皇制に従うようにしむける方策だったかもしれません。

空海が四国霊場88ヶ所を定めたのは、実は結界を張るためのものであったのかもしれないのです。

この結界によって邪馬台国の神々と人々を封じ込めて、天皇家とその国を安泰ならしめることが、密かに込められているとしたら、現在まで続く壮大な呪いです。

60番札所は横峰寺です。石鎚山のふもとにあります。

60は還暦を表す特別な数字ですが、ここに邪馬台国を慰霊し封じ込める寺が置かれたのではないかと感じます。

そして四国霊場最高の地点にあるのは、66番雲辺寺です。讃岐・阿波・伊予を見張るかのように、遥かな山上にあります。

この寺を横峰寺より高く置くことによって、天皇の優位を示しているのではないかと想像は膨らみます。

讃岐には天皇関係の寺もあります。讃岐は天皇の影響力の強い地です。

今でも国家の出先機関は高松に集中しています。

空海が何故天皇からあれほど信任されたのかという裏には、邪馬台国の怨霊が蠢いている四国に結界を張って封じ込めたからという功績があったのかもしれないのです。

土佐人の中に根源的にある愛国心は本当は失われた祖国邪馬台国へのものではないでしょうか。

そして自然に存在している尊王心は、無意識的であっても卑弥呼の系統に奉げられたものではないのかと思えるのです。

幕末時、尊皇攘夷の時代、土佐に出来たのは「土佐勤王党」でした。

天皇の「皇」ではなく「王」という字を使ったところに無意識にせよ大いなる意味が隠されているのかもしれないのです。

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