経済・政治・国際

2015年10月 7日 (水)

失望からできることを

安保法案はとうとう強行採決されてしまいました。

立憲主義と国民の多数の声は踏みにじられました。

今の日本は独裁国家と言えるでしょう。

多くの方が失望・絶望し、途方に暮れていたりすると思いますが、

できることを見つけることが大切だと思います。

まだできることはあるはずです。

安倍さんは政治家として最もしてはいけないことをしてしまったのだから

このままで済むわけはありません。

今月2日に高知市藤並公園で

マイナンバー制度の市民討論会(反対集会)があり、呼ばれて

余興をしてきました。

マイナンバーなら皆で希望の番号を申請したらどうか

181850844971

(嫌嫌、これはフォしくない)

という番号を皆が申請したら面白いだろうなどという話を

してきました。

大篠9条の会からも呼ばれ

11月下旬「憲法おもしろ話」という

講演をすることになりました。

機会があるときに発言していきます。

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2015年9月16日 (水)

安保法案正念場

今月はもう3回も更新しました。

安保法案について考える事が多いからです。

15日の中央公聴会でSEALDsの奥田愛基さんが意見を述べました。

立派であったと思います。

これを聞いた参議院議員は少しは心を動かされてほしいものです。

そもそも国会議員の仕事は国民の声を聞き、それを政治に反映させることではないでしょうか。

現在国民の世論は、安保法案反対です。

安倍総理がいくら政治生命をかけると言っても、民意から外れた事をしてはいけません。

前回書きましたが、そもそも違憲でもあるのですから。

この法案を通す事は、立憲主義、国民主権を踏みにじる事でしょう。

公明党は立党の精神に立ち返り、こんな法案には賛成しないでもらいたい。

せめて退席して欲しい。

つてのある公明党議員がいれば、そのことを訴えてください。

政治家として見識をあげる事ができます。

自民党の議員でも村上議員のように退席してくれる議員が増えれば可能性はあります。

自民党などから離れたら大いに応援してあげればいいですから。

今の自民党は自由でも民主的でもありません。

不自由不民主党です。

政権の座にある資格はありません。

野党もあらゆる手段でこの法案を否決に持っていってほしい。

国民の声が届く事を願っています。

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2015年9月12日 (土)

安保法案について

今参議院で審議中の安保法案については、

既に多くの反対が出ています。

この問題についての私の意見を書いておきたいと思います。

どんな理屈をつけようともこれだけ違憲の見解が出された法案は

やめるべきです。

最高裁の元長官も違憲と言明しましたから

(現役の長官は言えるわけはありませんので)

もはや違憲であることは確かです。

立憲主義を取る限り、

どう理屈をつけ、

国会で可決をし、

たとえ国民の多くが支持する状況となったとしても

違憲の法案を成立させる事はやめるべきでしょう。

憲法を尊重する姿勢を基本にしなくてはなりません。

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2008年11月25日 (火)

経世済民について

経世済民とは、世を治め民を救うことです。

皇帝・君主の心構えを表した言葉です。

我々庶民は、皇帝ではありませんから、一方的に民を救うことはできませんし、どちらかと言えば、救われたいのが本音です。

しかしこの言葉を信条にして、お互いを大切にして救い合い、世の中をうまく運んでいくことは、協力しあえばできるのではないでしょうか。

江戸時代には、経世家という経世済民の具体策を説いた在野の知識人がいました。

彼らは、政治・経済・社会を論じ、治国平天下のための経世済民論を論じ合ったり、献上したりしました。

私も現代の経世家たるべく、芸名を経世済民としました。

経世済民の精神で生きていきます。

多くの人がこの精神を取り入れるならば、社会の今の閉塞状況は打破できるでしょう。

今の経済学では、世の中は救えません。

エコノミーには経世済民の発想はありません。

エコノミーとは、ギリシア語の「オイコス」と「ノモス」の合成語です。

「オイコス」とは家のこと、「ノモス」とは管理・規則のことです。

つまりエコノミーとは家の規則を作り、管理していくことなのです。

一つの家・国家が栄えればいいわけで、後は滅びたっていいわけです。

自分しか見ていないし、大事にしないのです。

経世済民は、天下全てを対称にしているので、幅広く公平になれます。

自分のことしか考えない思想では、この世は滅びます。

エコノミー・エコノミクスから、経世済民に視線を移していきたいものです。

その出発点としては、次の3つの視点・悟りが必要です。

何よりも命を大切にすること

他の人と共に生きているという認識をもつこと

カネではなく、人・物・サービスを重視すること

命よりカネが大事にされるところでは誰も生きていけません。そして人間は一人では生きていけないのですから、関係を大事にして共に生きていく覚悟を持ち、カネを中心に置くのではなく、人・物・サービスを中心に置くことです。

そして、カネになるものではなく、人の喜ぶもの、価値あるものを生み出すことです。

もちろん高知など地方は、グローバル競争の中で一方的にカネを奪われ続けていますから、カネを取り戻す工夫も必要です。

しかし、それはマネーゲームに参加することではなく、地元の名産品・特産品を広く紹介し、世界相手に売り出していくことしかないのです。

各地方が、世界を相手に売っていくシステムを考えたらいいでしょう。

カネが地方に戻ってくれば、まだまだ生きていく道も開けるでしょう。

Keiseisaimi

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2008年10月 1日 (水)

麻生内閣について

考えてみます。

社会の閉塞感は打破できそうでしょうか。48%の支持率がそうでないことを示しているようです。

任命は適材適所と言っていましたが、そうでなかったことは中山大臣辞任で早くも証明されました。

中山氏は、人として言ってはいけないことを繰り返し言いました。

人権感覚も状況把握力もなかったと言わざるをえません。

麻生氏自身の資質が疑われるところです。

総裁候補者のうち、与謝野氏を再任し、石破氏は農水相に、石原氏は幹事長代理に起用しましたが、小池氏は起用しませんでした。

一方小渕優子氏を目玉として起用していますが、総選挙の広告塔づくり、可愛い女の子を使って人気を得ようという下心が透けています。

女性軽視がうかがえます。

それは自民党総務会長笹川氏の発言によっても推察されます。

首相と鳩山氏、顧問の森氏は失言トリオですので発言には十分注意してもらいたいものです。世間は注目しています。

官房長官河村氏、幹事長細田氏は実務者かもしれませんが、地味なので総選挙の際、どれだけ力になるでしょうか。

麻生氏の一枚看板だけでは力不足に思えます。

同じ思想を共有する人や親しい人、論功行賞で成り立っている印象が強く、納得できない内閣です。

世襲議員が六割を超えている点からも国民の心情から離れた内閣だと想像されます。

さらに、麻生氏自身吉田茂の孫であることを強調しましたが、鳩山氏、中曽根氏、小渕氏は各首相を、浜田氏はハマコーを中川氏は中川一郎を思い出させます。

かつての自民党を思い出させる復古型、懐古趣味の内閣と言えるかもしれません。

どうみても期待できません。

国民は国政に期待するのはもうやめて、地域自立・独立を目指す時なのでしょう。

各地で独立運動をして(実際は高度な自治を獲得して)、日本を緩やかな連合国制にしていくことを目指していきます。

小さな声でも上げ続けていくつもりです。

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2008年9月17日 (水)

自民党総裁選のこと

5人の候補が論戦を展開していますが、結果が決まっているので盛り上がりにかけるようです。

少し、各候補を点検してみましょう。

麻生氏は財政出動を約束しています。これは、前のようにばらまきをやるから次の総選挙でも自民党候補に投票しろというメッセージに思えます。

自分でも言っていたように、失言にはくれぐれも気をつけてもらいたいものです。

小池氏は、自分のことを「アイデアウーマン」、「サラブレッドではない」と紹介して、際立たせるのに成功しています。

「もったいない宣言」で「女性の力を使わないのはもったいない」というのは、自分に力を発揮させないのはもったいないと言っているようです。

巧みに自分を売り込んだり、民主党に対する不信を織り込んだりするところはさすがです。

しかし、「霞ヶ関をぶっ壊す」というのはいかがなものでしょう。

自民党などは壊したところでどうということはないのですが、官庁をぶっ壊したらたちまち国政が立ち行かなくなります。

大鉈を振るっての改革は必要ですが、ぶっ壊してはいけないでしょう。

それとも「日本国壊滅論」でもやるつもりなのでしょうか。

「もうかる農業」は、農業を金稼ぎの道具とする視点です。

農業は輸出産業とするよりまず食糧と捉え、自給自足を促進する視点が大切です。

経済のパイを大きくすれば弱者も底上げされると主張しています。

実際にはそうならなかったのが多くの実情です。

市場原理主義にはもう決別しなくてはなりません。

石破氏の地方重視の視点は評価できます。

食料自給率50%引き上げもよい目標です。

いっそ不祥事・失言続きの農水相に立候補してはどうでしょうか。

安全保障の専門家であるなどと言っても軍事オタクとしか見られていませんから、その方がいいように思えます。

石原氏は個性が出ていません。

主張も中途半端です。

拉致問題の解決を公約にするのは、福田さんも言ったのにああなりましたから、かえって悪い印象になるのではないでしょうか。

出馬する時、「一点の私心もない」と言明していましたが、一点の私心もなければ、勝つ可能性のない総裁選には出ないと思います。

与謝野氏は一番まともに感じられます。

行き過ぎた市場原理政策を見直す主張には共感します。

消費税率引き上げを明言する態度は潔いでしょう。

しかし、担い手農家に直接支払いをするのは、大企業優遇に似ているので考え直してもらいたいものです。

零細農家を救うことこそ喫緊の課題です。

さらに霞ヶ関改革でどれだけの財源を確保できるかを示してもらいたいものです。

そうでなければ、官僚の言いなりになるのではないかとの不安が拭えないでしょう。

総裁選が「ごっこ」で終わることのないように期待しています。

国民が安心して暮らせる「共生の原理」が展開されねばなりません。

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2008年9月 2日 (火)

福田首相辞任で政治を考えました

突然に辞めるのはやはり無責任です。

基本的には任期を全うするのが筋でしょう。

辞任に到ったいきさつも色々言われていますが、どれも国民のためにではなく、党内事情や力学が優先されているようです。

福田総理のことを決して嫌っているのではありません。

飄々として、機転もユーモアもあって好ましく思っていますし、官房長官としての実績を見れば政治家としても有能であったことは分かります。

しかし、政治・行政は「公」のものであるのに、「私」の論理で動かしたことには、怒りを感じ納得できません。

社会の基盤とも言うべき国家の政治がそんなことでよいのでしょうか。

人間は不完全な存在ですから、多少のことは許し合っていかなくてはなりません。

しかし、よりよい社会を形成するために努力し、協力していくことも必要です。

社会や国家をリードする人が「私」の論理で動いていては国は立ち行かなくなります。

政治家には何より「公」の精神が必要です。

そもそも政治家は必要でしょうか。

国民の立場で考えるなら、統治者が時代の課題を誤らず把握し対処するならば、常に「公」の精神で、誤らず実行するならば、独裁制でも結構と言えます。

プラトンの哲人政治論や古代中国の「鼓腹撃壌」の故事を考えればよいことです。

しかし人間は不完全なので、理想状態が続くことはありません。

民主主義・代議員制だって完全でも理想的でもありません。

それを活かし意味のあるものにしていこうと全ての人が関わっていかなければ、すぐ形骸化してしまいます。

代議員とは、代わって意見を述べる人のことです。

何より人の意見を聞くことが大切です。

政治家というと確かな国家像や指導力を持っていると考える人やそうであるべきだと思う人も多いですが、現実はそううまくはいきません。

政治家が間違った行動をとるのは、多くの報道を待つまでもないことです。

だからこそ政治家との意見交換・話し合いが大切です。

よりよく話し合うことで少しはましになっていくのではないでしょうか。

よく政治との関わりには、投票が重視され、棄権してはいけないと言われます。

しかし、当の政治家と何の関わり・接点もないのに投票だけすることに意味があるのでしょうか。

また、投票しているだけでよいのでしょうか。

少しでも政治家と関わり、話し合うことが大切です。

政治家(どういう分野であれ)も応じるべきなのは言うまでもありません。

よりよい社会づくりは、毎日の生活から始まるのであり、選挙の時だけで決まるものではありません。

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2008年4月25日 (金)

グローバル社会と高知

一頃よりグローバル・スタンダード(実際はアメリカ・スタンダードですが)が流行して、世界規模の競争に巻き込まれています。

それが本当に正しいとは言えないでしょう。

どんな地方社会も同じように競争させられ、地方は疲弊しています。

お金だけが絶対化され、人々の暮らしは貧しくなる一方ではないですか。

お金以外の価値を大切にしていかなくてはならないのに、巨大なマネーの力の前に立ちすくみ、なすすべをなくしています。

このままでは、誰も生きていけなくなるという危機感さえ感じられます。

社会が崩壊する時、人間を支えるものは何でしょうか。

一人ひとりの持つ逞しさ・生命力ではないかと思います。

土佐は最初から、健依別(たけよりわけ)の国でした。これは猛々しさ・強さが格別の国であるということでしょう。

土佐人は、一人ひとり我が強く、逞しいし、楽天的であるので、社会が安定している時、組織的な活動が必要な時には、あまり力を発揮できませんが、社会体制が崩壊する時、激動の時には力を発揮するでしょう。

今が正にその時と言えます。

進取の気風がありますから、新しい考え方・生き方にも適応できるでしょう。

組織的な動きは苦手ですから、それは得意な県民にやってもらうのが良いかもしれません。

新しい生き方を提唱することは、大いにできると思います。

それは、グローバル・マネーに呑み込まれず、地球に優しいロハスな生き方となることでしょう。

価値観の転換のためには、独自の素晴らしさに気づくことから始めなくてはなりません。

土佐人は、土佐の・高知の良さに気づくことから始めたらいいと思います。

そこで高知学研究所などを提案するわけです。

いろんな方面から、高知を語り、自分達の価値を再認識して、誇りを取り戻すことが何より大切です。

高知らしさを一人ひとりが考え、話し合うことが望まれます。

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