土佐人の物語37(昭和篇2)
今回は、総理大臣浜口雄幸(1870-1931)を取り上げます。
官僚の後、政治家。
大正13年、加藤内閣で大蔵大臣、緊縮財政に取り組みます。
前年に関東大震災が起こっていましたから、当然の政策ですが、頑固で強い責任感のたまものでもあります。
浜口は空理空論を排し、責任ある政見の表明を心がけていました。
土佐人の具体性志向がうかがえます。
大正14年、城東中学校での講演で、「日本人には、国体より生ずる忠君愛国の立派な思想がある」と述べています。
土佐南学の流れも感じられます。
昭和2年の金融恐慌の混乱の中、そして世界恐慌の発生した昭和4年、立憲民政党総裁として、内閣総理大臣に就任します。
天皇大権を認め、君主統治の下で、普通選挙を実現します。
女性の参政権はなく、25才以上の男子に限られていましたが、ある意味、一君万民思想の実現と言えるかもしれません。
金解禁政策が有名です。
この当時、日本は金の輸出を停止していました。
世界は、金本位制をとっており、金の輸出を停止しているということは、日本の通貨に金の裏打ちを与えていない、世界から信用されない状況だったのです。
金解禁とは、日本通貨に裏打ちを与え、世界標準に戻すことでした。
経済の発展には必要な政策です。
しかし、世界恐慌の真っ只中、時期が少し悪かった。
「明日伸びんがため、今日縮む」と説得しましたが、通用したかどうか。
国会は乗り切ったとしても、国民には不満があったようです。
これには、内に厳しく外に合わせる思想、世界全体を公と捉え重視する思想が潜んでいたのですが、わかりにくかったかもしれません。
ロンドン軍縮条約締結も有名です。
第1次世界大戦以後は平和が到来し、協調外交の一環として行われたのですが、大国意識を持ち始めた国民にとっては納得いかないことだったようです。
東京駅で狙撃され、「男子の本懐である」との名ゼリフを残しました。
少し前、民主党の小沢さんも使ってましたから、寿命の長いセリフです。
男子たるもの一度は使ってみたいのかもしれません。
浜口は、土佐人らしさがうまく出て成功した実例です。
しかし、最後を全うできませんでした。
土佐人には悲劇がつきものなのでしょうか。
土佐の暮らしは日々喜劇に満ちているというのに。
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